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親睦活動委員会 委員長 高野 悠
創立記念例会。1990年11月19日に創立した当クラブは、本日29周年を迎えることが出来ました。 これまでの活動に携わっていただいた地域関係団体・関係者の皆様には深く感謝を申し上げます。そして7名のチャーター会員には深く敬意と感謝とお祝いを申し上げます。来年はいよいよ創立30周年です。益々のご支援ご協力を賜りますよう宜しくお願い申し上げます。
(2019年11月19日)
 会長あいさつ 
皆さんこんにちは。本日も色々なご事情の中この支笏湖丸駒飲泉にお集まりいただきありがとうございます。
今日11月19日は当クラブの創立記念日です。今から29年前の1990年の11月19日に当クラブは創立しました。
最近は、お誕生日というのは自分を祝うというよりも、親に感謝するという傾向があるようで、この創立記念日は、このクラブを作ったチャーターメンバーに感謝を申し上げる日と考えます。
例年のクラブ会長というのは、活動を繋げるという意味でとても大変というのは分かりますが、全くなかった状態からクラブを作るというゼロからイチにするという作業には、想像できないモチベーションとエネルギーを費やされたのだろうと、敬意と感謝を申し上げる次第であります。
今日はチャーターメンバー7名の方が出席されています。当時のイロイロなお話が聞けたら、と思います。
本日の例会宜しくお願いします。



 チャーターメンバーより一言 
初代会長 高塚信和
私も1990年の時代を思い出して来年が30周年という事で、非常に意味深いです。
あの当時は、私も1年で辞めようと思ったのが、何故こんなに30年近くいるのかと不思議に思っております。
たまたま初代会長に指名されて、その節目の下に、しがらみの下に30年近くいるのは変な年寄りだと思って、お笑いいただきたいと思います。
でもこれだけ長くやれたのは、私にとっても健康と途中でいろいろな障害はありましたが、今日も14時半からここに到着して以来、いささか程飲んでおります。それぐらい元気があるという事です。
来年30周年という事で、皆さんと健康を祝してお祝いしましょう。

雑誌委員会 委員長 白木松敏
あっという間でした。ロータリークラブがあることすら知らなかったです。千歳印刷の社長に入れと言われ、わからなくても取り敢えず2年間だけ入れと言われました。2年間で辞めるつもりでしたが、初代親睦活動委員長を務め、元々芸能関係をやっておりましたから、何か自分に合うような感じがして、2年で辞める頃に色々な方と知り合い人間関係が出来て辞められなくなりました。
そして未だお世話になりながら、今います。もう少し頑張りますのでどうにか死ぬまで宜しくお願いします。

米山記念奨学委員会 委員長 坂井 治
私がロータリーに入った時はJCの現役メンバーでした。しかも日本JCの委員長というとても忙しい役をしている時でして、ロータリークラブに取り敢えず入るけれども何も出来ないよと、最初の半年間はほとんどやっていませんでした。
それと私の父が千歳中央ライオンズクラブの創立会長ですから僕はライオンズクラブに入るのだろうと皆さんに思われていて、スポンサークラブ千歳RCの当時の佐藤会長が会社に来て、私の会社の中島専務にロータリーに入れと言われました。中島専務は苦手なので何とかしてくれと言われ、それでしょうがないのでロータリーに入りますよという事で入らせていただいたのが最初のきっかけでした。
29年間、いつの間にか気が付いたら会長を2回やっていますし、ガバナー補佐もやらせていただき、地区委員長もやらせていただきました。最初は白木さんが委員長の時の副委員長をさせていただきました。その時に委員長の補佐をさせていただきました。
JC時代に親睦の事も勉強しましたので、お手伝い出来たかなと思います。あまり長く話すと嫌がられるのでこれぐらいにしておきます。

友好クラブ委員会 委員長 羽芝涼一
我々のクラブを作る上において、佐藤秀雄さんが当時の会長で、幹事が高慶さんだったのですが、正直自分自身冷静だったと思います。JC卒業後3年経っていましたが、ロータリーは凄いのかなという気がしながら入会させてもらいました。
7代目会長をして、尚且つ高塚さんに「お前が出来ないことは俺が全部拾ってやる」という言葉にだまされガバナー補佐をやらせてもらいました。
ボランティアという部分の仕事以外で30年頑張ったという事で、自分を褒めてやりたいと思います。

会長エレクト 松坂敏之
チャーターメンバーにお願いがあります。僕は30周年の会長を引き受けました。それで僕が辞めた時に一斉に辞めないでください。ちゃんと最後までやってください。それでなければ困ります。辞めないで欲しい。愛情があるならば最後まで残って欲しいというのが一つ。
それと同時に新しい会員を何とか増やしていただきたい。我々もそれだけ愛情豊かに、このセントラルロータリークラブの事を考えています。だからそれを引き継ぐ新人も私達も一生懸命お手伝いしますので、頑張っていって欲しい。それをお願いしたいと思います。

会計監査 土居栄治
今誕生日を思い出しておりますが、確か日曜日だったと思います。11月19日はRIが決めた事であり、実質的には3月ぐらいから例会をやっていました。RIの承認が11月19日です。それまで毎週必ず例会はやりました。最初は18名ぐらいしかいなくて25名でないとロータリーは作れません。千歳ロータリークラブから10名ぐらい掛け持ちして設立するという事でしたが、我々何とか頑張って37名まで持っていきました。
前々日に高田社長から渡辺さんを紹介してもらい38名で創立しました。29年前を思い出すと涙が出てきます。
ロータリーの経験者が誰もいないものですから、佐藤会長と高慶さんに千歳JCのOB会総会の後、当時の日航ホテルで昼食をご馳走になりながら、上手く丸められました。
佐藤会長、高慶さん、南雲さん、須藤さんのお父さん、武石さんなど1年近く勉強したと思います。その中で発起人と色々話した後、千歳セントラルロータリークラブが生まれました。
副会長 佐々木俊英
チャーターメンバーの方々の話を聞いておりましたが、私も1989年にJCを卒業して、高塚顧問あるいは岩田さんから誘われてセントラルロータリークラブに入会させていただきました。
30年経ちました。70歳になりまして早いものだとつくづく感じております。
先ほど、松坂さんもお話しておりましたが、組織は新陳代謝が上手くいっていなければ必ず尻すぼみになり消滅してしまいます。そういった意味で新しい血、若い連中を引き込んでいかないと活性化しない、組織は存続しません。いろいろな組織において言えると思います。
そういった意味で私もご承知の事と思いますが、自分の会社の代表を引退しました。新しい社長をセントラルロータリークラブに入れようと思ったので話をしました。人脈を作る上で、是非入りたいという話で進んでいた訳でしたが、釧路に本社があり理事会にかけたら却下されたそうです。社長と交代して私が辞めるとちょっと寂しいなと思っていましたが、社長がセントラルロータリークラブに入れなくなったものですから、松坂会長エレクトから来年30周年の実行委員長をやってくれと言われて、それも出来ないなと思っていましたが、それが出来る様になりました。 (笑)
個人的に30周年終わったら辞めようかなと思っていましたが、先ほど松坂さんに辞めないでくれと言われたので1、2年は残っていようといます。そんな風に思っています。
ですからチャーターメンバーの方々、30周年終わってもすぐ辞めないように。
また、プライベートは最近眼鏡を変えて普通の人間に戻りたいと思います。女房とはすこぶる上手くいっております。家庭も安定しておりますので、ご心配なくいただきたいと思います。

創立会員七人衆