RETURN
8月6日は卓話例会です。例会テーマは「震災はきっとまた起こる」。
安平町復興ボランティアセンター長の井内聖氏を講師にお招きしました。
昨年9月6日未明に起きた北海道胆振東部地震で、甚大な被害を受けた直後、行政に先駆けてボランティアセンターを立ち上げた当時の状況や今後のためのポイントや問題点等を分かりやすく話して頂きました。
会員やオブザーバーの方々も、リアリティーに基づいた説得力ある内容に聞き入っていました。
井内さんには今後、千歳市内の2つの高校でも講話をして頂く予定です。

(学校法人リズム学園 学園長・はやきた子ども園 園長)
安平町復興ボランティアセンター

センター長 井内 聖 様
まず初めに昨年の9月6日以来、安平町をはじめ被災3町に多大なるご支援をいただきました事、また早来中学校にプロジェクターを寄贈していただきました事、改めて御礼申し上げます。本当に有難うございました。
今日は何を話そうかと思いましたが、高校生に話す話と違って実際起きていた事と、ロータリークラブさんですから皆さん恐らく自分の会社など経営されていると思いますので、そういった時に実際どうなのか、という話をさせていただきたいと思います。
実は地震の時、お泊まり会をやっていました。園に子供がいました。たまたまですが、私が子供に付く番が2時から6時まででした。ちょうど子供についていて子供たちが体育館で寝ていました。
下から大きくドーンと来た後、大きな揺れが来ました。今回震度は7ですが、6強、7は四つん這いが精一杯です。立ち上がれないという事がわかりました。そして、私と男性の副園長二人共、揺れが収まったとき同じ事を考えました。亡くなった方が出ただろうと。
皆さんが千歳、もしくは札幌などで被災され大きな揺れだったと感じたとは思いますが、揺れが収まった瞬間に亡くなった方が出ただろうとはお感じにならなかったかもしれません。実際、厚真、安平、鵡川の方々は亡くなった方が出たのではと感じる揺れでした。
その後、子供たちの安全を確認しましたが、体育館でしたので倒れてくる物も落ちてくる物も無く大丈夫でしたが、電気が止まりました。
マニュアルでは、すぐに保護者と連絡を取って迎えに来てくださいというのがマニュアルです。電気がありません。親が生きているかどうかがわかりません。状況が全く分からない中、スマートフォンは生きていました。メールで連絡をしました。電話は使い物になりません。電話線が切れたらおしまい。それとスマートフォンの電話はつながりにくいです。直後はメールがあって良かったと思いました。「全員無事です」の一報を流しておしまいです。
子供はどうだったかというと、揺れでは起きません。それは5歳ぐらいの子供は本気で寝ると揺らしても起きません。地震速報と防災無線で目を覚ましました。
私と副園長は暗黙ですが常に笑顔でした。子供に「怖いね、大丈夫?」と聞くと怖いと言います。「ちょっと揺れたね、けど平気だね」と言うと平気だねと言います。心臓はバクバクしながらちょっと揺れたけどみんな一緒だから大丈夫だねと言いました。
担任の先生方にも絶対に笑顔でいてね、そしてぐちゃぐちゃな園内は絶対に見せないと言いました。それが心の傷になります。ぐちゃぐちゃな職員室でどうしようかと考え選択は一つしかありませんでした。子どもを引き渡さない。帰せる状況にはありません。
(中略)
安平町は、この大地震を想定していませんでした。何故なら地震発生確率が30%以下で、企業誘致の謳い文句は地震がない、台風も来ない、津波も来ない、災害がない、だから企業の工場を建てませんかと言っていた町でした。
まさか我が町が直撃になるとは思いませんでした。
第1報は震源地が安平と出ました。その後、厚真さんに訂正されます。
3時8分に地震が起きて、3時40分にメールを流して、園を避難所として開放しました。安平町が避難所を開くより先です。
何故なら直撃でしたが、建物は大丈夫でした。たまたまですが、自然体験を中心とする園でしたので、発電機もありましたし、園庭に井戸を掘っていて水もありました。
もし、この状況で家にお母さんと0歳児だけだったらどうしているだろう。
解放したところ、地域の50人ぐらいが避難して きました。中には足の悪いおばあちゃんが家にいると不安なのでと歩いて来ました。
その後、4時過ぎに町の避難所が開かれました。自主避難所は支援の手が届きにくいので、公設の避難所に移ってもらいました。
他にもたくさんいろいろな事がありました。今回被災をして、片付けをして、これからどうしようかと考えていた時です。朝になって最後まで迎えに来れなかった家庭がありました。両親が安平町役場で勤務している家庭です。
またこんなこともありました。迎えに来たお母さんからいつから子供を預かってもらえますかと聞かれました。お父さんが医師、お母さんが看護師でした。


昨年の夏、熊本の園長先生からこんな話も聞いていました。PTSD(心的外傷後ストレス障害)になるのは、家にいるお子さんの方が多かったです。家にいるとテレビでは地震の映像しか流れない。新聞には地震の記事しか書いていない。そして余震が来る度に家の物が倒れる。本当は家が一番安全な場所なのに、その安全な家が一番怖い場所になりお母さんが家で泣いている。自分は外に出られず遊びにも行けない。
そういう話も聞いていたので副園長の先生方と話し、園を再開しようと決めました。水はありましたが、地震で水の通り道が変わり一度枯れました。発電機もガソリンがなければ只の箱です。水も電気も無い。調理室も調理が出来る状況ではない。だけど開けよう。ここで子供を預からないと、まずは町の災害復旧が出来ない。
その頃の安平町役場は20時間勤務、4時間休憩というシフトでした。
それともう一つは復興には10年かかると言われています。その復興を担うのが子供たちの筈、その子供たちに心の傷を残すわけにいかない、だから開けようと言いました。
決めたのは良いのですが先生がいません。理由は簡単で全員被災者だからです。
皆さんの会社が大きな災害が起きた時に会社をどうしようかと思った時に来れる状況だといいです。大きな地震の時にはまずマニュアルが役に立ちません。人がいません。うちが取った手段はSNSです。Facebookを使いました。全道、全国に向かって保育士さん、幼稚園の先生ボランティアで来てくれませんかと呼びかけました。これはネットの時代に本当に有難い事だと思いました。私が出した投稿が拡散して震災から2日後、園を開ける時には約50人の先生方が来てくれました。
動けなかったのは学生です。学生が動けるかと思い大学の先生と連絡を取りましたが駄目でした。理由はわかりやすく、大学の先生から学生の安全が保障できない。
まだ余震も続いていて携帯電話も繋がりづらい、電気も水も無いところに大学として、学生を送る訳にはいかないと言われました。当然です。直後は高校生・大学生は動けない事が多いです。
千歳は移動手段が比較的あるかもしれませんが、安平町だとどうやって来るのかという話になります。たまたま恵庭にも幼稚園を持っていたので、恵庭から幼稚園のバスを使って札幌からボランティアの方々の送迎などしました。一番遠くから来て下さったのは沖縄、そして宮城、愛知、全国から幼稚園の先生、保育士さんが来てくださいました。
最初にボランティアを受け入れてやっていた事もあり、ボランティアセンターを運営する時に町とリズム学園が一緒になってやりました。
先日話をしてきましたが、今回千歳社会福祉協議会さんに大変お世話になりました。立ち上げる時、コピー機すらなく、その時に千歳社協さんがコピー機を使っていいですよと持ってきてくれました。千歳社協さんは人がいっぱいいていいなと思いました。
災害ボランティアセンターを安平町に立ち上げた時、役場から来てくれた人は0人です。社会福祉協議会は2人です。何千人というボランティアを回すのは不可能なのでリズム学園として、法人から9人出して運営していきました。
今回災害があってたまたまですが、良かった事があります。ペーパーレスにしていて良かったです。先生方にはまた大きな余震が来たら身体一つで逃げて良い。持って逃げなければいけない書類はないと言いました。これは岡山の先生に聞いていました。紙の書類は水害に遭うと全部駄目になります。
もう一つ、データを全てクラウドに上げていて良かったです。電気が止まったらサーバーが止まって引き出せません。インターネット上にデータがあれば繋がりさえすればどうにかなります。水、電気と同じようにインターネットはライフラインの一つです。なので復旧が早いです。もしかしたら水、電気のような物理的なものが無い分、インターネットの方が復旧が早いかもしれません。
もう一つ、現金を止めて電子マネーにしていました。先生に言いました。持って逃げなければいけない大金はうちの職場にはない。
実際に物を持つ、管理しているのは災害の時にリスクになるという事がわかりました。会社を経営されている方がいると思いますが、取引先との情報や現金をどのように扱っていくかは課題になるかもしれません。被災者の中には傾いた家の鍵が壊れて家を空けられないので避難所に行けないという人がいました。もし皆さんの会社の建物が被害に遭い鍵が掛からない状況で、大事な書類があり銀行もやっていない時、さてどうしましょうか。そういう見方からも防災対策があるかもしれません。
皆さんの場合は、社員さんがどうかという事もあるかと思います。何かあった時に集まって来られるかどうか。ロータリークラブに入られているので、恐らく地域の中で重要なポジションを担われていると思います。その時に自分はどちらで動くのだろうか。地域で動くのか、会社で動くのか。こういった事も頭の片隅に置いておくと良いと思います。
そして、災害時は地域の力が試されます。避難所の運営は自治会の差がはっきり出ます。普段から活動が盛んなところは避難所が非常に良い雰囲気です。もう帰りたくないというおばあちゃんがいる避難所もあれば、小学生を持つお母さんはあの避難所にはいたくないと帰る方もいました。大人のいがみ合いを子供に見せたくないという避難所もありました。違いは何か。普段の自治会町内会活動がそのまま出ています。
地域で活動をされている方がいると思いますが、地域の活動は最後に何かあった時に生きるのだと思いました。上手くいかない避難所は、全員がリーダーシップを発揮する場合と決まった事に後から文句を言うパターンです。船頭多くして船山に上るという言葉があります。
そして残念だと思ったのは、普段から物事に対して批判・文句を言う方はやはり、震災時もそういった声が出ます。その代わりその方々は動きません。それがわかりました。
私が震災で学んだ事が2つあります。 一つは、話し合いは意味が無い。話し合い自体に意味が無いわけではありません。話し合っているだけでは意味が無いのです。話し合う事よりも決める事。それと決める事よりも動く事。こちらの方があの状況では大事でした。
もう一つは頭で決めない事です。決めるのは心で決める。 水も電気も無い中で子供を受け入れるのは無理な事です。いろいろなリスクがあり頭で考えると決められませんでした。朝と夕方で状況が変わる、2時間前と状況が変わる中で悩んでいる暇はなく、まず心で決める。そして頭で整理する。2週間ずっと現地にいたので私も毎朝確認する事がありました。手足を動かし身体が動くか確認しました。心と身体のバランスが崩れた時、人はおかしくなってしまいます。心ではやる気はあるけれど、身体は動かない。心で決めて、頭で整理して、最後は身体に聞こう。身体が動けばまだいける。2週間経った時、身体が動かなくなりました。その時初めて休みを取り家に戻りました。