担当 理事会 (進行担当 幹事 笹谷俊尚)
本日のクラブ協議会は「東日本大震災復興応援事業の軌跡」と題し、震災後すぐに千歳セントラルロータリークラブが行ってきた東北大震災の復興応援に関わる事業の内容と経緯などを、事業年度の会長、または関わり合いの深い方々に伺いたいと思います。
今年度の柱の事業として計画する防災講話事業「東北から伝えたいこと」の実施につながる貴重な内容となります。入会の時期によっては過去の事業に関わがなく、事業の内容も知らない方々もいらっしゃると思いますし、先輩会員も回顧して頂きながら今般の事業への理解を深めて頂きたいと思います。
事業を振り返り
羽生会長年度の2012年3月にチャリティーイベント「絆で結ぶあったか♡千歳」を開催し、岩手・宮城・福島県から千歳市に避難されていた方々に、イベントの収益金約100万円を支援金として寄贈しました。
パスト会長  羽生有三(2011-12年度)
最近テレビでも東日本大震災を取り上げる事が少なくなってきています。
始めに、2012年2月22、23日に震災地を車で回り写真を撮ってきましたのでスライドで紹介します。
─ スライド視聴 ─
7年経ちまして、来年春先に行ってこようかと思っています。
事業は震災翌年、3月11日に開催しました。これは千歳RCと共催になりましたが、他に奉仕団体、色々なところと協力関係で成り立ちました。その中でも千歳RCの会員、そしてセントラルの会員全員が一丸となって頑張ってくれました。
私と千歳RCの今村会長でやることになりましたが、千歳RCの酒井宏会員に一生懸命にやって頂いて、リードしてくれました。そしてメンバーの退会されましたが須藤丈さんです。
チケットも600枚売ろうという事で、今考えると何故そんなに考えたのかと思いましたが目標は600枚でした。結局チケットは売れたのですが、実質来られたのは480名、大勢の方に参加して頂きました。陸上自衛隊第7師団にも協力頂いて本当に立派な事業が出来ました。
残念なことは未だ被災地が復興半ばという事です。
─ 中略 ─
2011年は坂井年度でした。12月に初めてのウエルカム定例会を開いて、翌年3月まで3カ月の間に10回ぐらいの定例会で同時にチケット販売を行いました。当時のメンバーは今半分くらいになり新しいメンバーが増えましたが、その当時は協力してくれました。
これからも四方年度、次の菅原年度、東日本大震災関連の事業は続くと思います。ロータリーでやる事も大事ですが、国が主導するべき課題がまだたくさんあります。
熊本の震災もそうですが、弱い人の立場に立ち、ある程度考える時間があっても良いかと思います。今後とも少しでも関わって協力していきたいと思います。これからも宜しくお願いします。

白木会長年度の2015年5月に「宮城県岩沼市“第3回千年希望の丘植樹祭 2015”」に大勢の会員が参加するなどの復興応援事業を実施。
パスト会長  白木松敏(2014-15年度)
日本大震災に関連する私の会長年度の活動譜をまとめました。お手元に資料を配布しました。全部発表するのは大変時間が掛かりますので、かいつまんで発表させていただきます。
2014年 1月、会長方針を発表。社会奉仕委員会の松坂敏之委員長に私の思いをぶつけました。9月、宮城県岩沼市「千年希望の丘」植樹センター開所式に臨みました。その時に初めて菊池岩沼市長にお会いしております。その時に、1本 500円の苗木を420本、合計21万円相当分を寄付しました。
平成 26年岩沼市功労者表彰式で我がクラブが表彰されました。
015年5月26日、「第3回千年希望の丘植樹祭」に参加しました。当クラブから 20名が参加しています。岩沼 RC、ローターアクトクラブなど色々な方に応援していただきました。
現在も協力して頂いた岩沼市の方々と交流しております。

東日本復興応援事業を継続的に実施するにあたり、岩沼ロータリークラブとの協力関係を構築した中心的な役割を務めた松坂会員。
松坂敏之 会員
久しぶりにDVDを見ますといろいろな事を思い出します。
改めて時系列を思い出しておりました。一番初めに進めた時に、我がクラブは東日本大震災関連で何をしようかと凄く考えました。当時の彦坂会長、佐々木幹事とも相談し、まずは行動した方が良いだろうという事になりました。私達ロータリーは全部と付き合う訳にはいきません。線と線で結びあってやっていく、あらゆるロータリーがそういう形で結びつく事が、結果的に全体の支援に繋がるのではないかという考え方です。
さて、我がクラブは何処のロータリークラブと線で結ぶのが良いだろうという話をした覚えがあります。最終的には空港のある町という事で、仙台の近くを選びました。あの時に千歳市防災センターの見学に岩沼市議団が来ていました。そこで相談して渡辺真多さんを紹介して頂ききました。渡辺さんはいい男だから何でも引き受けてくれる、「合点の真多」として有名だという事で早速電話しました。初めは感触が悪かったです。それはいろいろな所から支援、申し出でが物凄くたくさん届いていたからです。私は自家農園のじゃがいもを送りたいと言いました。皆さんにご協力いただいて掘って乾かして送りました。あれに凄く感動したそうです。
清水農園があの時とても役立ちました。清水さんと我々の自家農園がなかったら、この付き合いはなかったと私は思っています。
我々が作った物を届けるという事が、いかに心が込もっているのかという事、お金や物は有り余るほどもらっていました。ただ、そういう思いの詰まったものが届いたという事で、我々を引き付けてくれました。我がクラブは多額の資産の持ち合わせなく、メンバーも大勢いるわけでもないので、そういう意味で岩沼RCとの繋がりが広がったのではと思っています。
宮脇昭さんの推奨する「いのちを守る緑の防潮堤」があり、何回もクラブで勉強をした事がありました。その考え方に彦坂会長は非常に感銘を受け、そうこうしている間に「千年希望の丘」が並行してその事業に参加する事になりました。当時、岩沼RCは岩沼市で千年希望の丘事業をやる事を知りませんでした。情報を知らせると渡辺さんはびっくりしていました。そういう方向でうちのクラブが走り出しました。非常に先見の明があったのだと思います。
初めて彦坂会長と現地に行った時に、現地どんぐりを持ち帰り、苗木を育て植樹をしたいと、一緒にどんぐり拾いをしました。彦坂会長は非常に純粋でしたが、私はとても出来ないので止めようと言い、止めるのに必死でした。そういう意味では思いの深かった当時の彦坂会長を思い出します。
そこから岩沼RCとの交流が始まり、植樹祭などでは大勢参加していただき有難かったです。こうした付き合いの中から今年度計画している事業が生まれたのではと思っています。
今年度の四方会長年度で逆に岩沼RCが我々を支援してくれる立場になりました。それもこういう縁がもとで、わざわざ講師に千歳市に来ていただきます。こういう事を大切に続けていくことがまた方向は違うかもしれませんが、いい方向に繋がるのではないかと思っています。
さて、これからどうしたらよいでしょう。菅原百合子さん、非常に難しくなります。東日本大震災だけでなく我々の思いの強い事を一緒になって考える事によって、また新たなものが出来るのではないかと思います。
今年度の事業の実行委員長の髙木会員も一生懸命頑張っています。10月に仙台に行きました。岩沼RCのメンバーと話し飲んでいましたが、「語り部の会」の会長にドタキャンされ、がっかりして帰ってきました。会長は報告されていないようですが、本音はそういう所です。今修復しながら四方会長、髙木実行委員長がこれから一生懸命ねじを巻いてやる予定ですので、是非皆さんのご協力をいただければと思います。宜しくお願いします。

会長  四方信次
今皆さんのお話を聞いていまして、正直熱くまた非常に責任を感じる思いでいました。
私が入会したのは武田会長年度の10月でした。東日本大震災事業の取り組みもわからない状態で、被災地に千歳市の中学生10人を連れて行った報告会にいきなり参加したのが最初でした。
こういった事をやっているのだという所から、尾本会長年度の5月に千年希望の丘植樹祭に参加させて頂いて中浜小学校、被災地を見学させてもらい「語り部の会」の方々に会ったというのが今回の成り行きのきっかけとなったと思います。
武田会長年度のように子供たちを連れて行きたいと提案し、井上副会長から「語り部の会」をこちらに呼んだ方が、今このタイミングでは多くの子供たちに聞いてもらうことが出来るという意見を頂戴したところから、防災講話事業が始まりました。
「語り部の会」の渡邉修次会長と電話やメールのやりとりが思うように進まないもどかしいような状況で進んでいました。ここへきてやれるのではないかという思いが、事業を成功させるのだという確信に変わりました。
今のところ、3月19日15時から1時間、千歳高校で約700名、3月20日は午前11時から北陽小学校で約230名、午後1時から勇舞中学校で約500名の生徒・児童の参加が見込まれます。
本来20日が例会のスケジュールですが、19日に変更しまして、「語り部の会」の渡邉修次会長に出席して頂くものとします。
髙木実行委員長を中心に松坂さん、理事の方々にも協力を頂きながら準備を進めているような状況であります。
皆さんの協力支援がない事にはこの事業も成功していかないと思っております。あと半年少しの会長年度をかけてこの事業を成功させていきたいと思っておりますので、皆さんの協力宜しくお願いいたします。