担当 米山記念奨学委員会 委員長 田口 廣(10月10日)
本日は米山委員会としての担当例会です。本来であれば、地区米山記念奨学委員会 大石委員長が来る予定でしたが、スケジュールの都合で札幌清田RCの三浦さんが駆け付けてくれました。
三浦さんは司法書士で1960年生まれ、2013年に札幌清田RCへ入会され2016-2017年度に会長をされています。
同時にインドネシア国籍の奨学生ヒルダ・アマリアさんが来てくださいました。現在、札幌大学3年生で北大でも受講されています。専攻は現代政治と国際関係で将来は外交官になりたいという希望を持っておられます。趣味は野外活動。特にサイクリングや登山などをしているそうです。 母国に帰りますとスキューバ、サーフィンなどをやっているそうです。
当クラブでは米山奨学生について、私もなったばかりでわからない部分がありまして、今日はじっくり、ゆっくり、いろいろと教えていただければと思っております。それでは、早速三浦委員からお願いします。
RI第2510地区 米山記念奨学・学友委員会
委員  三浦信一 様

委員会名が長いので米山委員会と通称させていただきます。
委員会名が長くなったのは、現役の米山奨学生に関して担当しているのが米山記念奨学委員会、そして奨学生が終わって学友になった方の委員会が別にあったのですが、昨年度から組織変更がありまして、一緒の委員会になりました。
留学生に関わるロータリークラブの委員会は多々ありますが、こちらのクラブに所属され先日ご逝去された齊藤様が担当されていた学友委員会は、私の理解では、日本から外国に行った日本人の留学生の人達、そして外国から日本に来た留学生の現役と留学が終わった方々の集まりの委員会を、学友委員会と称しています。米山委員会は、外国からの留学生ですが、齊藤さんのいらっしゃった学友委員会とは別の系統の留学生と考えてもらえればと思います。目指すところは同じであります。
皆様方のお蔭をもちまして米山奨学会は今年、法人化して50周年を迎えることが出来ました。米山奨学生と委員会は1952年当時まで遡ることが出来ます。戦争直後、隣の半島では戦争真最中であり、何か国際的に平和をつくるためには人との交流が必要だと始まったのが、米山奨学制度と聞いております。米山奨学生の活動は、皆様方からの寄付で賄っております。 ── この他、寄付の種類、選抜方法などの米山奨学生についてご説明いただきました。

米山奨学生  ヒルダ・アマリア 様
皆様こんにちは。
私はロータリーに選ばれる前は、日々生活費を稼ぐためにアルバイトを掛け持ちして勉強していました。大学でロータリー奨学生を募集するのを見て応募し、選ばれた時は、とても嬉しく光栄に思いました。
日本に来る前に日本に関心を持ったきっかけは、インドネシアでNHKの政治の会議の番組を見たことです。議員や大臣が会議をしていろいろな話をしていました。何でインドネシアでは、日本みたいに会議が放送されないんだろうと、頭の中に浮かびました。
そこで、日本の事をいろいろ調べて関心を持ち始め、日本に絶対留学しますという固い決心で日本に来ました。
日本語を全然話せなかった私は、大阪に行って1年ぐらい日本語を勉強しました。大阪弁があるので、それを乗り越えてなるべく標準語で会話したりしてみました。
私は戦争が大嫌いです。パレスチナ、イスラエル、シリア紛争などをテレビで見ました。昔から私は戦争が嫌いで政治の勉強をしてみようと思いました。
国際関係も私の家族にとって身近なものでした。私の父はオランダ国籍でした。家族の中で毎日英語、オランダ語、インドネシア語を話しています。人間関係が鍛えられる場面もあります。
せっかく日本に留学するので、政治の面で日本とインドネシアの柱になりたい。もっと絆を深めて良好関係になってもらいたいと思います。

日本では、いろいろな知識や学業に励んで、自分の夢を叶えるために勉強していきたいと思います。
ロータリー米山奨学金のお蔭で、苦労してアルバイトを掛け持ちせず、たくさんの活動やいろいろな団体に入ってボランティアの活動を自由に出来るようになりました。
ロータリーの例会に出ていますが、カウンセラーの森さんという精神科医の方が、日本の社会はうつ病という病気にかかる方が結構いて、何故だろうと思いました。質問をしたら、日本の社会はストレスを抱えやすいという答えが出てきて、日本の裏側を知るようになっていろいろと勉強になりました。
インドネシアに行った方もいらっしゃると思いますが、インドネシアがどんな国なのか、どんな人が住んでいるのかを、この後話します。
最後に皆さんからの質問に答えますのでどんどん質問してきてください。
── 様々な画像と共にインドネシアをご紹介いただきました。