担当 ニコニコ箱委員会(3月28日)
卓 話
講師:村本隆雄 様
㈱メモリアルむらもと代表取締役
只今ご紹介いただきました恵庭生まれ恵庭育ちの村本隆雄と申します。今日はご縁あって関根会長にお声がけいただき、このように例会で皆さんの前でお話させていただく機会をいただきましたことを改めて感謝申し上げます。関根会長、髙木さんなどJC時代からいろいろ教えてい ただいた先輩もいらっしゃって大変やりづらい所もありますが、仕事の内容について多少紹介が出来ればと思っております。
私は社長就任が2010年でした。今2017年なので7年目に入っています。その前は私の叔父、恵庭ロータリークラブでお世話になっている村本満男が社長で、その前が父、村本隆二でした。
父は昭和25年生まれで65歳、叔父が62歳、父はJC卒業したぐらいの早い頃から「自分は55歳で会社を辞める」と言い出しました。まさかと思ってみていましたが、実際に1年前倒しの54歳で辞めてしまいました。今でも覚えています。いきなり社長室によばれこの春で辞めると言われました。その後、叔父が社長のバトンを引き継ぎましたが、叔父も感化されたのか俺も55歳で辞めると言い出しました。本当に55歳で辞めてしまいました。
引退すると普通は会長になって会社に来たりしますが、全く来ないです。不安なので相談事がある時は話を聞いてくれますが、後は会社には来ませんでした。
今、父も叔父も二夫婦で趣味が旅行なものですから、キャンピングカー2台で先週から九州に行きまして、桜前線の北上と一緒にゴールデンウイーク前ぐらいに戻ってくるはずです。こんな旅行を何年も続けていまして、この時期はいないのが毎年のことです。
会社の成り立ちは葬儀屋です。葬儀屋から始まりまして現在では飲食事業、介護事業、その他多少いろいろやっていますが、グループ全体では社員数が約220名、その内正社員が80名、スタッフと毎日お客様に向き合っている会社です。
個人的な所では妻と子供が3人います。今春、高校3年生の次女が恵庭ロータリークラブさんにお世話になり、オーストラリアのシドニーに交換留学で行かせていただいています。2月に家族と叔父も父も一緒に行って会ってきました。人見知りが激しい次女でしたが、いろいろな所に1人で行って渡り合っていくうちに随分とたくましくなって、英語も全然話せなかったのですがある程度コミュニケーションを図れるようになっていて、この秋9月に戻ってくるのを楽しみにしているところです。

当社の経営理念は、「感動を想像する」となっています。
とにかく私を含めて社員全員で共通語として使っているのが「感動を想像する」。感動創造とは何だろうという事を自分達なりに解釈しています。
まず感動というのは、誰であっても想定を超えるインパクトを与えるあるいは受ける、そこで人間は感動すると思います。この地球上の動植物の中で恐らく喜怒哀楽を持っていてそれを表現できるのは人間だけかもしれないと思っていまして、感動するレベルまでインパクトを受けると、受けた人間は何かしら行動に移る。
例えば凄いいい体験を人に伝える事や逆に怒りを覚えた時には反発する。それが感動のレベルだと思うので満足という領域では駄目だと思ってやっております。
本業が葬儀葬祭業ですけれども、会社1950年7月22日に有限会社恵庭葬祭社として設立をしています。会社を立ち上げる前から法人化はしていませんが、商売をずっとやっていまして、随分と昔は札幌市の創成川の付近、すすきのラフィラさんのはす向かい辺りで呉服屋をやっていました。当時は手広くやっていまして結構なレベルで仕事をしていたそうです。しかし、えらく博打打ちで全てを無くしてこの恵庭に転がり込んできた、そこから始まりだそうです。
──  会社概要や経営理念について、葬儀を通じた様々なエピソードの紹介と共に熱く語っていただきました。