2015年8月25日
雑誌委員会 委員長 高塚信和
ロータリーではロータリアンの義務が三つあります。
一つは会費の納入、二つ目は例会の出席、三つ目はロータリー雑誌の購入です。
1952年、大阪で地区大会があり、国際ロータリーから日本のロータリーを東日本と西日本に二つに分けるよう指摘されました。
分断されるのは困ることから雑誌を発行しようということになりました。昭和28年1月号から今まで、既に8月号で752号発行されています。ロータリーの友は日本独自です。外国では写真と国際ロータリー本部の行事の出来事しかありません。日本の文化の紹介という事で短歌、俳句、川柳などがありバナーの紹介など色々な事が載っています。
「ロータリーの友」という名前が何故つけたのか調べてみますと、「ビールのお供」でも良いのではという意見もありましたが、最終的には「主婦の友」というのがあり、これに合わせて「ロータリーの友」が発行されました。
私も過去4回ほどロータリーの友に投稿しております。短歌、俳句などでも良いですし、各委員会の内容でも良いです。なるべく行事のあった1か月以内に送っていただきたいと思います。8月号が出来るまでには5月には原稿が締め切られています。募集から3か月かかります。岩沼の植樹祭の記事が早く載らないかと思っていましたが、これもどのようになるかわかりません。かなりいろいろな審査しながらやっているようです。
是非皆さん方に、各委員会、会長、幹事、ガバナー補佐でも良いです。そういう人たちが出している記事もあります。記事を出すことによっての我がクラブのアピールになるのではないかと思います。是非やっていただきたいと思います。
他人を中傷したりする記事は載せません。良識ある内容でないと載せません。広告雑誌ではないので面白可笑しくは書いてありません。しかし、ロータリーの情報誌としては最高のものですから必ず読んでいただきたいと思います。

ロータリーには超我の奉仕というのがあります。I serveとWe serveがあります。これがもめたことがあります。
私も資料を紐解いて調べました。
ポール・ハリスが初代会長をしましたが、6年後にまた会長をやっています。この時に「世界は常に変化している。ロータリーは世界と共に変化していかなければならない。そして、ロータリーの物語が永遠に書き換えられなければならない」と述べています。
ポー ル・ハリスが、一人で書き1911年1月号に発刊されたロータリーの雑誌、「The National Rotarian」が最初の雑誌でした。
当時、シカゴロータリークラブにシェルトンという会員がおり、この人とI serve、We serveの違いでポール・ハリスは会長を辞めなくてはならなくなります。この時ライオンズクラブを創ったメルビン・ジョーンズも会員として在籍していました。彼らは脱会してライオンズクラブを創っていきます。
1905年はロータリークラブ、1917年にライオンズクラブが創設されます。
超我の奉仕で、ロータリークラブは「奉仕する団体」ではなく、「奉仕する人々の集まり」であり、この同士に奉仕を実践する勇気と便宜を与えるための機関であると言っています。ただ単に奉仕をする団体ではなく奉仕する人々の集まりによって成るクラブであると言っています。
このように“I serve”の精神を堅持しつつも“We serve”にも配慮しながら適切にやらなければならないと近年言い出しました。
それまでは“I serve”しかなくライオンズクラブの発生と共に変わっていきました。
(中略)
我がクラブは創立が1990年11月19日で、承認が12月12日となっております。第2510地区では67番目、北海道内では127番目、日本で1930番目、世界では25244番目です。
千歳ロータリークラブも1968年創立ですから2018年に50周年を迎えます。
一度、生い立ちを良く覚えておいていただきたいと思います。
新しい会員がここにもおりますが、こういう事を知っている人が継承していかないと、我がクラブは継続されません。